自然派ワインの造り手として天才と謳われる二コラ・モランを訪問しました!
メゾンはニュイ・サン・ジョルジュのサン・ドニ教会の真横にあり、修道士たちがワイン造りに携わった17世紀の建物とセラーを使用。教会の鐘の音が地下セラーの中まで届きます。
2024年の収穫がまだ終わっていない忙しい最中、遅い時間で良ければと愛好家のために時間をつくって受け入れてくださいました。
一歩中に足を踏み入れると、ついさっきまで活発に活動していた機材は明日のために清掃され、彼一人が居残った静かな醸造所は鏡のように天井を覆ったパネルがナチュレルな色調の生きた空間。200年も経つ古いオークの桶、上部がすぼまったコンクリートタンク、大樽、ステンレスタンクと、醸造用の容器は大きさも形も様々。2014年にメゾンを立ち上げて以来、試行錯誤で色々と挑戦してきた軌跡がうかがわれます。
2024年の収穫の収量は本当に少しだけ。通常よりずっと小さなミクロ・キュヴェが立ち並ぶ。
既に醸造も終盤に入りデキュヴァージュに近いニュイ・サン・ジョルジュ レ・シャイオ(Nuits-Saint-Georges Les Chaillots)のピジャージュを体験させてくださり、その後、まだ盛んに発酵中の隣のキュヴェから細いチューブを繋いで酵母の働きで自然に発生する二酸化炭素を注入し蓋をする。醸造終盤のキュヴェを酸化から守る最も自然で合理的な方法。そんな工夫も「自然の力だけで何も加えずに造りたい」という彼の信念から自ずと生まれた発想。
作業用のリフトでゆっくりとセラーに下りると、そこは新鋭生産者のイメージを払拭する、閑静で歴史ある趣き。教会の修道士たちが盛んにワイン造りをした時代が思われ、「ここで繰り広げられたワイン造りの歴史を感じるのが好きです。」と二コラは言う。「だからこの場所を買いました。25人の収穫者を率いての慌ただしい一日の後、ここで一人、静粛に耳を傾ける時間が好きです。新しい醸造所と異なり、ここには沢山の酵母が生き、醸造が上手くいかないという事が無いのです。」
82年生まれで若干42歳の彼は、ディジョンに近いマラン(Mâlain)という村に所有畑も持っています。醸造施設はそことここの2箇所。
ペルナン・ヴェルジュレスの白から始まった2023年の樽出し試飲はどれも素晴らしい。ブドウが成りすぎてそのままでは全ての房が成熟しなかったという豊作年の2023年は、二コラは思い切ってグリーンハーヴェストを実行したとの事。最大限の量をとろうとした生産者のワインは薄まってしまった傾向もあり、まさに「良い生産者を選ぶべき年ですよ。」とのアドバイス。
特にコルトン・シャルルマーニュの西向き斜面の直ぐ先に位置する区画から来るペルナン・ヴェルジュのキュヴェは、一般的にミネラルな印象のペルナンと比べて、優しさと滋味深さが加わっている。ムルソーはイメージ通りリッチで力強いし、ニュイ・サン・ジョルジュのレ・シャイヨ Les Chaillotsとレ・ロンジュクール Les Longecourtsの比較試飲も面白い。少し田舎っぽさを感じる腐葉土系タンニンの前者とエレガントで社交的な後者は同じニュイでも対照的。
ドメーヌ(所有畑)があるマラン村は標高500ⅿだから、地球の温暖化が進む今、とても将来性があると考えているとの事。「イタリアのワインが好きだから、ネッビオーロなども植えてみたい。」と少しやんちゃな目を輝かせる。ドメーヌは今3ヘクタールで、もうすぐ4ヘクタールに広がる予定。でも一人できちんと管理できる広さを保ち、過度に広げすぎるつもりは無い。クリストフ・ルーミエとは懇意にしていて、いつか彼のブドウを買わせてもらいたいとの夢もある。
メゾンでもドメーヌでも樹液の循環を大切にする剪定を心がけ、コートではほぼ収穫が終わっているというのにまだ収穫を続けている二コラは一番遅い収穫者とも言える。花梗の熟度も待ち、意義があれば使用する方向で、除梗率はヴィンテージによってもキュヴェによっても違う。ビオかビオディナミかの質問には、「どちらも。ビオディナミは文字通り「活性化する」農法だから、樹勢が強い時には施す必要はありません。必要な時だけ採用します。」
話は尽きず、試飲は楽しく、歴史の詰まった居心地の良いセラーにニュイの教会の鐘が時間を伝えた頃、20歳にもなるという長寿の猫ミミちゃんも待ちくたびれた様子で姿を現したので、名残惜しくもお別れを告げました。
日本のインポーターさんは東京の相模屋本店。リーズナブルな値付けで販売してくださっていて、とても信頼しているとの事です。
二コラ・モランのドメーヌ畑《レ・ゼクリヴァン Les Ecrivains》と言えば、「物を書く人たち」という意味。樽職人からこの道に入り、これからの彼そのものを代弁しているようなこの畑との出会いも、この畑をモノポールで手に入れたという事も、ときめきの物語の始まりを暗示しているような気がします。
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